夕凪SO BLOG

2021/08/14

はじめての甲子園


今年も夏の甲子園では熱戦が繰り広げられている。 コロナ禍でここ数年は大会の中止や無観客での開催であったが、夏の風物詩の復活を嬉しく思っているのは私だけではないはずだ。高校野球や甲子園に様々な課題があることは事実だと思うが、この風物詩としての高校野球、甲子園大会はこれから先も維持してほしいなと私は思う。

ちなみに私は2005年7月27日、香川県大会の準決勝で延長の末敗れ(スコアは8-9)、目標としていた甲子園には届かなかった。この高校野球での思い出はまた別の機会に書くこととする。

先日、2歳になった息子を連れて幕張にあるZOZOマリンスタジアムのナイター観戦に行ってきた。対戦カードは福岡ソフトバンク・ホークス対千葉ロッテ・マリーンズ。

息子にとっては人生初のプロ野球観戦である。正直2〜3イニグが限界で途中で帰る羽目になることを覚悟していたのだが、意外にも息子は野球観戦を楽しんでおり、延長10回での試合決着までしっかり観戦することができた。

とは言っても、持参したおにぎりやイベントでゲットしたアイスを食べるのを楽しみにしていたり、7回のマリーンズの攻撃前にライトスタンド後方で打ち上がる花火やその際にバックスクリーンに登場する強大な「コアラのマーチ」のバルーンに大興奮していたりと、プレー以外の”野球場のお祭り感”を楽しんでいたのだとは思うが。

でも、ピッチャーが投球するのにあわせて「エイヤー」と言ってボールを投げるそぶりなんかもしていましたね。はい、父はとても嬉しかったのです。 なぎと1

私自身が初めてプロ野球を観戦したのは、香川県営野球場(現在のレグザムスタジアム)だった。日本ハムとどこの試合だったか…。公式戦ではなくオープン戦だったのかも知れない。父に連れられての野球観戦であったが、その頃はまだ野球に対してそこまでの熱がなかったのだと思う。おそらく、小学4〜5年生くらいだったのだろうか。

今でもハッキリと覚えているのは、私が小学6年生の夏休み。1999年8月31日の甲子園球場でのナイターだ。これが私にとってははじめての甲子園球場だった。

当時5位の広島東洋カープと6位(最下位)をひた走る阪神タイガースの試合を観に行った。両チーム共に既にペナントレースから脱落し、当時はクライマックスシリーズも無かったので完全なる消化試合であったが、前日の夜に「夏休み最後にプロ野球でも観に行くか」と父が突然言い出し、遠路はるばる父の運転する車で甲子園球場に向かった。

翌日から2学期が始まるというのに。おそらく母は「やめときなさいよ…」と言っただろうが、そんな状況でも「大丈夫やって」と日帰りで甲子園のナイター観戦に出発した父。残念ながら、私もその血を存分に引き継いでいるなという気はしている。(父のせいだ)

当時の広島は四番に江藤、金本や野村などもラインナップに居て、試合前のフリーバッティングではホームランを量産していた。一方の阪神は一番打者が2年目の坪井。三番に新庄、四番に大豊という打線だった。私は阪神ファンで特に坪井選手を応援していた気がする。

そして、この日の試合では阪神が確か勝ったのでは無かったか…。そんな気がして当時のスコアを調べてみた。

試合は3-1で阪神が勝っていた。

そして、スタメンは以下の通りだった。いやぁ、渋い。

広島東洋カープ    阪神タイガース  1.中 緒方      1.右 坪井  2.二 東出      2.三 和田  3.左 金本      3.中 新庄  4.三 江藤      4.一 大豊  5.遊 野村      5.左 桧山  6.一 嶋       6.捕 矢野  7.右 木村拓     7.二 星野  8.捕 西山      8.遊 田中秀

 9.投 河野      9.投 中込

 そして、スコアを見ていると色々なことを思い出してきた。阪神の得点は桧山の7号ソロと大豊の9号ツーランの3点。桧山のソロホームランは見損ねた。確か私が父と球場内の売店に買い出しに行っていた間に飛び出したのだった。

売店の列に並びながら「なんか盛り上がってない?」と父と会話した記憶がある。一方、7回の大豊のツーランはしっかり見ることができた。これ私が生まれて初めてみたプロ野球のホームランであった。

試合の序盤、私は甲子園球場の雰囲気に圧倒されていた。球場に入る前からもちろんワクワク、ソワソワしていたのだが、スタンドに向かう通路を通り、黒土のダイヤモンドと満員のスタンドが見えた時の衝撃は今でも覚えている。 (球場に入った時にこういう感覚を覚えたのは、この小学6年生の時の甲子園球場と、大学1年生の時に初めて神宮球場に入った時の2回だけである)

そのため最初はおっかなびっくり試合を観ていたのだが、試合の終盤には周りの席のおじさんたちとハイタッチをし、いつしか「かっとばせー」と父と一緒に大声を出して応援していた。

 9回に当時クローザーだった福原忍投手が150kmの直球で広島打線を抑えた。この時に私は初めて150kmというスピードボールを生で見て興奮していた。そんな父と息子の様子に一緒に来ていた姉は隣でちょっと引いていたような記憶がある。

野球とは記録と記憶が結びつくスポーツだ。今回、自分の息子とのはじめてのナイター観戦をきっかけに、1999年8月31日というピンポイントの記録をたどってみた。その試合のスコアブック(記録)を見るだけで、小学6年生だった時の記憶が蘇ってくる。

あ、こんなプレーがあったな。この選手がヒットを打ったな。この応援したな。父とはこんな会話をしたな…。そんな懐かしい記憶たちである。

 今、2歳の息子が今回のナイターを記憶していることはないだろうが、いつか同じように思い出すような出来事があると良いなと思う。できる限りそういう場を機会を与えてあげられたら。 なぎと2

街に野球がある景色を100年先にも





     

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